熱交換器をリリース

 大組織は巨大な社会だ。未熟な二十代のときは何をやっていても学び吸収できることが多く、学習曲線も急だ。しかしある程度経験を積み、そろそろ学ぶばかりでなく思い切り自分で何かやってみたいと思っても大きな仕事は任されない。そんな時期が、大組織での「三十歳から四十五歳」の十五年である。上がつかえているとか、大組織で一人前と認められるためには学ぶべきことが多すぎるとか、いろいろ理由があるが、キャリアにおける若干の停滞感が漂ってくる時期がその十五年なのである。  そのときに「大組織のプロ」を目指す覚悟と資質があれば、迷いなく上手にその十五年を過ごし、大組織でしか学べないことをしっかりと時間をかけて身につけることができる。 さまざまな経営能力、ビッグビジネスの海外での立ち上げ、巨大製造業におけるものづくり関連のすべて、半導体や液晶ディスプレイのような巨大設備投資ができる会社にいなければ磨くことのできない技術、グローバル生産体制やそれを支える巨大情報システム、グローバルーマーケティング、巨大企業の財務など、大組織でしか磨くことができない専門性は枚挙にいとまがない。社内の可能性空間を眺めて、自分の志向性にあった「大組織のプロ」を目指せばいい。  こうした知はネット上には溢れてこないからウェブ上に高速道路はできないのだが、この領域を極めることは「高く険しい道」をゆくようなものである。勤めている会社がベ トープラクティスを持ち、その領域のプロになれば、市場価値はより高くなる。それは営む仕事の現場が「見晴らしのいい場所」そのものだという意味である。トヨタの生産システムに精通した者が日本中の工場の指導に引っ張りだこ、トヨタ流の経営に慣れ親しんだ五十代、六十代の人たちが日本中で経営者として求められるのはその好例である。学校を出てから二十年以上かけて「高く険しい道」をきわめて「大組織のプロ」になれば、経営力や技術力をめぐる市場価値も高まる。  覚悟の中でひとつ重要なのは、日本株式会社の老舗企業といったって何か起こるかわからない時代だが、自分が「大組織のプロ」になるまでは、「その会社がちゃんとサバイバルしていてくれる(仮に買収されたとしても事業が存続していればいいとか細かくいえばそういうことも含め)という側に自分は賭けているのだ」と自覚を持つことである。この見極めはかなりの確度でできるだろう。プロとしての市場価値が生まれるところまでいけば、あとはいかようにでも生きていくことができる。  そういう覚悟はない。勤めている会社の存続にも確信がない。周囲を見回しても自らの「大組織適応性」という資質に自信が持てない。「三十歳から四十五歳」の十五年と問われれば、漠然とだが「ここではないどこか」で仕事をしていたいと思っている。大組織内のこういうタイプがじつはとても危ない。「三十歳から四十五歳」といえば、独身時代と違って家庭を持っていることも多く、キャリアの停滞感とは逆に言えば「与えられた仕事をこなす」くらいならそれほど背伸びしなくてもできるという意味でもあり、ただなんとなく大組織のダイナミクスの中で流されていると、あっと言う間に時間が過ぎ、コモディティ化するリスクが高い。「小さな組織」をいくつも移りながら「三十歳から四十五歳こそが勝負時」という「日本株式会社の外の常識」で過ごす人だちと、日常での緊張感がどんどん乖離していく。しかも四十代前半を縮小均衡的な精神で過ごすと、急に気持ちが老け込んで守りに入ってしまいがちだ。  そういうタイプの人は、「その会社から吸収できることをすべて吸収し、その十五年間のできるだけ早い時期に辞める」というビジョンを持って生きるべきだと思う。最終的にその組織を離れないことになったとしても、自覚的に十五年をそう生きれば「組織と個の関係」も対等に近づいていくことだろう。そんな決意を秘めて働いている人のほうが、逆説的だが、組織内で「輝く個」になれる。「吸収できることをすべて吸収する」と決めたら、多様性と広がりに満ちた組織全体の中で「自分の志向性」に合致する場所を見つけ、積極的に働きかけて、何とかそこに移っていくことである。そしてその新しい居場所で、志向性のおもむくままにどこまでも行き「突き抜け感」のようなものを経験できると「けものみち」を歩いていく準備がだいぶできたことになる。  ところで、私のような大組織適応性の低い者が、日本株式会社ではないけれど大きな組織(ADLは当時全世界で三千人規模)に十年もなぜ勤められたのだろうと、ときどき振り返って考えることがある。私は、白分かやっていること、考えていることを、周囲の人たちに言いたくて仕方ない性格なのだが、それが大組織内で何とか長続きできた最大の要因だったのかもしれない。  当時は今のようにイントラネット内に情報共有の仕組みなどなかったし、ブログもない時代だから外に向けて情報発信していたわけではない。しかしちょっといいアイデアが浮かんだり、大型プロジェクトが顧客に売れそうになったりすると、すぐに先輩や同僚たちに話した。「もうその話は聞いた」と言われるほどしつこく、いつも自分の考え、やりたいことを周囲の人たちに話そうとしていた。一人・情報公開、一人・情報共有みたいなことを、勝手にやっていたのである。私のことを煙たがっていた人はいた(特に米国本社に転籍してから)が、私か何をしているのかはだいたい皆に見えていた。だから、私の存在によって誰が不利益を蒙るのかも皆に見えていたし、「自分とは関係ない」と思う幹部の人たちはかえって面白がって応援してくれたということもあった。すべては情報共有の成果だったように思う。 「大組織のプロ」を目指すのか、「吸収できることをすべて吸収して辞める」か。  いずれにせよどちらかの覚悟を固めて「三十歳から四十五歳」と期を、キャリアに自覚的に過ごすことが重要である。 カサンドラとは、ギリシヤ神話でトロイ陥落を于言した女司祭で、凶事の予言者の意味だ。迫り来る変化に誰よりも早く気づき早い段階で声を大にして警告を発するカサンドラ。そんな人物を組織内に持つことの重要性を、彼は口を酸っぱくしながら説くのだ。大小を問わず組織に勤めるすべての人たちに、危機を認識する最大の助けとなるカサンドラを自らの内部に持つべきだ、そう私は提言したい。  組織内のカサンドラとは「炭鉱のカナリア」のような役割なのだろう。炭鉱の先頭をいくカナリアが毒に敏感に反応して死ぬのを見てから、カナリアより毒性に強い人間たちは帰還する時期を決める。じつは私か十年前に創業したミューズーアソシェイツというコンサルティング会社は、顧客の日本企業に対して「炭鉱のカナリア」のような役目を果たす目的で設立した(たとえば「グーグルの脅威」を二〇〇二年頃からIT企業幹部に問いかけてきた)。  さてそんな私の「炭鉱のカナリア」力を発揮して、組織や仕事にこんな兆候があると危険だという注意事項を五つほど挙げておきたい。 「世の中と比べ、おそろしくゆったり時間が流れている」組織は要注意。そういう会社に長く勤めていると組織の外のスピード感に適応できなくなる。流れる時間がゆったりしていると、組織に緊張感が欠如しがちだ。もしこの危険信号を察知したら、なぜ時間がゆったり流れているのかを考えてみるといい。

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